観劇・映画・ドラマ、ボルダリング、シーカヤック、健康法など、好きなこと、実践していること、興味のあることを徒然なるままに書いてみようと思います。
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 「モリー先生との火曜日」“TUESDAYS WITH MORRIE”
2013年08月17日 (土) | 編集 |
モリー先生

 15日、16日は一緒に仕事でタグを組んでいる仲間2人が夏休みをとったので、フリーの私も自主休業を決め込み、一人で芝居1本と映画2本を見て参りました。酷暑の劇場や映画館はほんと、極楽ですねo(^▽^)o 15日に見たのが、加藤健一事務所の「モリー先生との火曜日」です。長~い感想なのですが、個人的に縁のある土地でのお話なので、備忘録として書いておきたいと思います。

 主役のモリー先生はカトケンさんこと加藤健一さん(64歳)、そして生徒で語り部であるミッチ・アルボム役はカトケンさんの長男の加藤義宗さん(33歳)で、二人芝居です。2010年の初演は高橋和也さん(44歳)だったので、今回のミッチは10歳以上若返ったことになります。義宗さんは長身のイケメンで、エリザベートのルドルフを演じたらぴったりという容姿の持ち主です。お父さんより足がずっと長くて、彫りが深いお顔なので、知らない人は親子だと気づかないかもしれません。
 
 前日にチケットを予約したのに、前から8列目のよいお席でした。「これが宝塚だったらなあ」と妄想にふける私。だって、本多劇場はオケもないし、役者さんが手が届くほど近いんですもの。観客は「老い」と「死」がテーマだけあって、年配の人が目立ちましたが、オペラグラスなんて誰も持っていません。コストパフォーマンス(5000円)からすれば、立ち見が出てもいい内容なので、端の方の席が空いていたのは残念でした。

 物語をパンフレットから抜粋しますと、「モリー先生との火曜日」はこんなストーリーです。原作はノンフィクションで実話をもとにした話です。

 人気スポーツライターとして活躍していたミッチは、ある日、深夜のニュース番組で、不治の病(筋委縮性側索硬化症)に冒された大学時代の恩師のモリー老教授をふと目にする。翌日、ミッチはモリー先生を訪ねる。16年ぶりに再会したモリー先生は、ミッチを温かく迎えてくれた。ミッチはモリー先生と言葉を交わすうちに自分の生き方にふと疑問を抱き始める。そして、毎週火曜日にモリー先生からの授業を受けることとなる。モリー先生の話は生きるとは、愛とは・・・。誰の心にも染み入る言葉に溢れていた。

 ミッチは学生時代、頻繁に先生の研究室を訪ね、一緒に食事をとるほど親しい関係だったんですね。彼は優秀で飛び級しているので、先生と出会ったときは17歳の少年でした。勉強もスポーツも何でも得意なミッチでしたが、夢はニューヨークにいる大好きな叔父さんから習ったピアノを活かして、ジャズピアニストになることでした。

 彼は卒業後、叔父さんのアパートに同居しながらクラブで演奏して夢を追いかけます。ところが、その叔父さんが突然すい臓がんで亡くなり、ミッチは地に足をつけて生きることを決意します。それと同時に、大学時代の友だちや人間関係を切り捨てて、手紙や印刷物が届いてもゴミ箱に放り投げていました。

 ミッチはコロンビア大学に進学し、修士号を取得。大手新聞社に入社し、やがてデトロイトのメディアに移籍して著名なコラムニストとなり、テレビやラジオにも出演するようになります。モリー先生をテレビ番組で見かけた頃、彼はジャズシンガーの恋人と婚約し、郊外に家を買い、車も2台所有して、順風満帆の人生を送っていました。

 モリー先生はそんな彼に「君は自分自身に満足しているかい?」と問いかけるのです。
「いいかい、ミッチ。死ぬというのは悲しいことだ。だが、不幸せに生きているってのは、もっともっと悲しいことだ」

 ミッチはそう言われて最初ムっとするんですね。成功している教え子になんでそんなことを言うのだろうって。私も最初、先生はひがんでるんじゃないかと思いました(笑)。金持ちに偏見を持ってるインテリじゃないかって。ですが、毎週火曜日に先生のもとに通うことになり、二人だけの講義が進むうち、最後にモリー先生の言葉の意味が明かされる仕掛けになっています。

 ミッチは先生に「デトロイトに行ったことはありますか」と尋ねるのですが、先生はわざと答えません。それなのに、ミッチの婚約者が先生のお見舞いにくると、「デトロイトはいいところだ」と言うのです。

 実は先生は10年前(だったと思う)、デトロイトに行ったとき、写真入りのミッチのコラムを新聞で読んで、彼の成功を喜んで、すぐに手紙を書いたんですね。でも、返事はきませんでした。きっとひどく失望したことでしょう。でも、16年ぶりにミッチに再会したとき、先生はその話をせず、笑顔で彼を受け入れたのです。おそらく、ミッチに会った瞬間から、先生にはミッチの状態や心の飢えを理解していたのでしょう。
 
 先生の講義のテーマは、「死」「恐れ」「老い」「欲望」「結婚」「家族」「社会」「許し」「人生の意味」などについてです。味わい深い言葉がたくさんあるのですが、特に心に残ったのは、次の言葉です。

「相手が100%間違っていて、自分が100%正しいと思っても、相手を許しなさい」


 自分のように体の自由がまったくきかない、死を目前にした状態になると、どちらが正しいとか間違っているとかいうのは、ささいなことに思える。許せばこの世か争いがなくなるのだと。
 死が目前に迫っていると知った先生は、ミッチの非礼を許そうと決めたのです。

 モリー先生はユダヤ人で、ロシア移民の父親は英語が話せませんでした。母親は8歳の時に亡くなり、9歳の時に弟がポリオにかかり、父親は強盗に入られて心臓発作で亡くなっています。恵まれた家庭の出身ではありません。

 ミッチが卒業するとき、先生はヘブライ語である言葉を贈ります。
 ミッチはヘブライ語がわからないので、その意味をわかろうともせずに忘れています。
 ところが、先生は最期に、同じ言葉を再びミッチに贈るのです。ミッチは16年前と同じようにヘブライ語はわからないと言います。すると先生はその言葉を英語に翻訳します。

「謙遜のあまり、自らの輝きを隠してはいけない」


 「コーチ(ミッチは先生をこう呼ぶ)、僕はこう見えても、けっこう輝いているんですが・・・」
 そう答えたミッチの手をとって、先生は自分の心臓の上に持っていき「そういう輝きじゃない。私が言っているのは、ここのことだ」と言うのです。

 私が知っているある教授は、自分が変わりたいと思った時に、それまで付き合っていた恋人と別れたそうです。新しい自分になるために、過去の自分を知っている人と決別したかったのです。ミッチが先生から離れたのも、そういうことだったのかなと思います。彼はがんの痛みにのたうちまわる叔父さんに何もしてあげられず、最後にエレベーター前で別れたときも、気の利いた言葉一つかけられず、無力感に打ちのめされます。そういう自分に別れを告げて、懸命に働き、社会の一角を占める立派な大人になろうと努力したのです。

 それ事態は間違った判断だったとは思いません。ですが、それと同時に、彼が学生時代に持っていた優しさ、純粋さ、無邪気さ、傷つきやすさといった感情に蓋をしてしまったんですね。モリー先生は死ぬ前に、ミッチの財産とも言える豊かな感情を取り戻して、幸せを味わって欲しいと願い、何千人という生徒の中から一人を選んで毎週授業を続けたのです。

 自分の限られた時間を人のために使うということが、愛情の最大の表現なのだと舞台を見終わって改めて思いました。メッセージが響いたのは、二人の演者のセリフが明瞭で、一つ一つの言葉が耳に残ったからにほかなりません。もっとも、ミッチ役の義宗さんは37歳のシワが出てきて、若手の台頭に焦りを感じる中年ライターにはまったく見えなくて、あと10年くらい経って再演した方がしっくりくるのかなと思いました。年齢より若々しい方なので。

 余談ですが、終演後に義宗さんがロギーでピアノ演奏されていました。舞台上では10曲全部をご自分で弾かれています。演奏が終わった義宗さんが横を通ると、後ろにいた女性が「なんてカッコいいの!!」と叫んでました。加藤健一事務所も歌舞伎のように、お父さんが開拓した演目を義宗さんが演じていくようになるのかもしれません。

 ミッチが学生時代を過ごしたブランダイス大学はボストン郊外にあって、経済とかビジネスで有名なユダヤ系の学生が多い大学です。私はミッチ・アルボムのように有名では“まったく”ありませんが(笑)、彼と同年代で、時期は違いますが、同じボストンにある大学に通っていたことがあります。
 デトロイトには取材で行きましたし、ニューヨークには観光や友だちを訪ねてよく行っていたので、この物語は私が青春を過ごした場所が全て出てくるので、本当に懐かしかったです。

 それともう一つ。モリー先生は78歳で亡くなりましたが、私も親しかった叔父を昨年78歳で亡くしました。その叔父とは生まれてから10歳まで同じ屋根の下で暮らし、デートにまで付いていったほどで、その奥さんの叔母とは姉妹のような関係です。もう1人の叔父は37歳をすい臓がんで亡くしたのも、ミッチと似ています。売れていないおかげで、叔母と共に叔父の最期を看取ることができました。お盆ということもあって、舞台を見ているうちに、自分が見送ってきた人たちと過ごした日々が蘇ってきて、劇場にいることでお盆の供養をしたような気分になりました。

 まだ現役で取材に飛び回っているけれど、「老い」も「死」も無縁とは言えない年齢になってきたのも事実です。ふだんは宝塚とか東宝ミュージカルとか、浮世離れした夢の世界に浸っている私ですが、8月は「春琴」(まだブログには報告していませんが)やこのモリー先生のように、ストレートプレイのよい芝居を見ることができました。ミッチのようにお金はありませんが、幸せです(笑)。キーボードの前で寝ている愛猫マリンもそう言っております。

marine1

 マリンはモリー先生よりずっと年上のはずですが、猛暑に負けず、元気です(^O^) マリンは私が万が一売れっ子になっても、こうやってデスクの上で一緒に仕事をしてくれるので、寂しがらせる心配はありません。それどころか、劇場にいないでもっとキーボードを叩けと言ってるような気がします。人の作品ばかり鑑賞していては、売れるはずないですからねぇ(反省)。
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