観劇・映画・ドラマ、ボルダリング、シーカヤック、健康法など、好きなこと、実践していること、興味のあることを徒然なるままに書いてみようと思います。
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 高野悦子さんの想い出
2013年02月14日 (木) | 編集 |
岩波ホール総支配人の高野悦子さんがお亡くなりになりました。83歳でした。
20年近く前になりますが、私はある政府関係の広報紙の取材で高野さんにお目にかかったことがあります。偶然、同じ大学の大先輩ということもあり、お会いする前から親近感を抱いていましたが、とても知的かつ気さくな方でした。

海外の芸術性の高い、商業ベースに乗りづらい映画を紹介するエキプ・ド・シネマを1974年にスタートされた高野さんですが、その中には大ヒットした作品がたくさんありました。私も何度も劇場に足を運んだ一人です。「八月の鯨」「眠る男」「宗家の三姉妹」「父と暮らせば」「カティンの森」等々、一緒に見た友人たちの顔と共に、そのとき自分がおかれていた状況が蘇ってきます。

お話の中で印象的だったエピソードが二つあります。一つは、年間400本近い映画を見ていて、1日に平均して3~4本見ているという話です。それを聞いて、「好きなことでも、仕事にすると大変だ」と思ったものです。面白い映画ばかりではないでしょうし、様々な基準にのっとって、上映するに足る作品かどうか評価するのですから、感動することはあっても、楽しむことはできないような気がします。

私も映画やお芝居が大好きですから、週に2本くらい、タダで見られる評論家とか新聞社の論説委員になりたいと思ったりしますが、仕事で毎日見ろと言われたら、ちょっとシンドイですね。1日24時間、毎日やり続けても嫌いにならないのが天職だと言いますが、高野さんにとってエキプドシネマはまさに天職だったのでしょう。

もう一つ、実は映画の話以上に胸に響いたのが、お母様を介護して看取った50代の話でした。「50代は本当に辛かった」という言葉を今も忘れることができません。それまで独身の高野さんを心身ともに支え、応援してきたしっかりしたお母様が認知症にかかり、「支えられる人から支える人へ」と転換したのが50代というわけです。その話を聞いたとき、まだ私は30代でシングルだったので、「そうか、50代はキツいんだな」と覚悟を定めた覚えがあります。

私の両親は70そこそこで亡くなったので、私がキツかったのは30代後半から40代にかけてでしたが、介護に奔走した数年間に何度も高野さんの言葉を思い出しました。晩年は体調を崩され、滅多に人前に姿を現さなかったとありますが、姪ごさんで現岩波ホール支配人の岩波律子さんがお世話されていたのでしょうか。この世に生まれた使命を立派に果たされた高野悦子さんの魂が安らかであることを祈らずにはいられません。

余談ですが、今日は元宝塚月組スター古城都さんのご主人、本郷功次郎さんも逝去されましたね。
さすがに古城さんの現役時代は存じあげませんが、まだ小学校に上がる前の子供の頃、なぜか、花登筐原作・脚本の『船場』というテレビドラマが大好きでした。それに主演していたのが、本郷功次郎さんです。

花登さんの描いた大阪の商人を主人公にした商魂物はいま流行りの韓国時代ドラマくらい面白くて、「この人は天才だ!」と感嘆しながら、『細うで繁盛記』『どてらい男』『ぼてじゃこ物語』などを家族と一緒に夢中になって見たものです。本郷さんは『細うで繁盛記』にも出演されていました。

今の私が泥臭い個人商店主の取材とかを好んでしているのは、この子供時代の影響が大きいかもしれません。エキプドシネマから大分ずれてしまいましたが、日本も再び、浪速のど根性精神で立ち上がらねばいけませんね。
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