観劇・映画・ドラマ、ボルダリング、シーカヤック、健康法など、好きなこと、実践していること、興味のあることを徒然なるままに書いてみようと思います。
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 こまつ座『雪やこんこん』の芝居讃歌
2012年03月09日 (金) | 編集 |
雪やこんこん

紀伊国屋サザンシアターで高畑淳子さんの大ファンである親友の「桃ちゃん」と井上ひさし作・鵜山仁演出の『雪やこんこん』を観る。井上ひさしは約40年の間に70作に及ぶ戯曲を書いている。私はかなり井上作品が好きな方だと思うが、それでもこの作品を含めてこれまで見たのはたったの10本。残念だが、死ぬまでに全作品を見ることは難しいだろう(笑)。

私生活においては元奥さんや娘さんなどによって本も出版され、家庭内暴力・離婚・親子関係の複雑さ等々さまざまな噂のある作家ではあるけれど、クオリティの高い作品を長年にわたってコンスタントに生み出し続けた才能と努力は脱帽もので、やはり「巨人」という形容が似つかわしい気がする。

『雪やこんこん』は時期的にはキャリアの真ん中あたり、87年に発表された大衆演劇---梅沢富美男や沢竜二(所作指導をしたらしい)とかの世界---に材をとった作品である。「遅筆堂」と自ら称した井上だが、この作品に限っては「プロットを立ててから脱稿するまで、二十日とかかりませんでした」(『昭和庶民三部作を書き終えて』)と述懐している。大衆演劇の一座に張り付いたり、役者のセリフを筆記したりと、取材もずいぶんしたらしいが、おそらく、子供時代の芝居見物(町に「小松座」という芝居小屋があったそう)や大学時代に浅草フランス座で働いた経験などを通して、井上自身の記憶の底に名ゼリフや小屋の匂いのようなものが蓄積されていたのだろう。

『雪やこんこん』の舞台は昭和29年、大衆演劇第二の黄金時代に陰りが見られ始めた頃、北関東の雪深い旅館に併設された芝居小屋「湯の花劇場」だ。そこへ人気も芸も関東一と言われた「中村梅子一座」がやってくるのだが、実は高崎で脱落者も出て総勢6名の小劇団。まさに風前の灯の梅子一座に元大衆演劇のスターだった旅館の女将・和子が絡んで展開される涙と人情の二日間の物語である。配役は次の通り。

中村梅子(大衆演劇の大スター) 高畑淳子 青年座

久米沢勝次(55歳のベテランの俳優で番頭的存在)金内喜久夫 文学座

秋月信夫(元新派の二枚目俳優)今拓哉(元劇団四季)

明石金吾(元国鉄職員で労働組合にいた女形)村田雄造 映画『おこげ』でオカマをやっていた

三条ひろみ(若い娘役の役者)山田まりや 元グラビアアイドルで近年は舞台に力を入れている。

光夫くん(一座の音響係) 宇宙(たかおき) 青年座

女中お千代(旅館の女中で一座の世話係り) 高柳絢子 文学座

立花庫之助(旅館の番頭で元役者)新井康弘 元アイドルグループ「ずうとるび」のメンバーで今は舞台中心

佐藤和子(旅館の女将で元大衆演劇のスター)キムラ緑子 マキノノゾミが主催していた元劇団M.0.P.の看板女優

この芝居、劇中劇で「国定忠治」や「瞼の母」といった大衆演劇の十八番が演じられるのだが、普通のセリフも大衆演劇風の言い回しになっているので、舞台の発声と所作ができていないと難しい。だが、そこが基礎のしっかりできている新劇の役者のすごいところで、幕開けの久米沢勝次(金内喜久夫)と立花庫之助(新井康弘)の掛け合いから、芝居の世界にぐっと引き込まれた。金内さんは『欲望という名の電車』ではセリフも出番も少なくてもったいないと思っていたが、この舞台では名優の芸を堪能できた。

井上作品はいずれもセリフが膨大で難易度が高いのだが、『雪やこんこん』での大役はやはり主役の中村梅子と旅館のおかみ佐藤和子の二人であって、この二人が後半に演じる騙し・騙されの芝居が一番の見せ場になっている。梅子を演じる高畑淳子は『欲望という名の電車』のブランチ役より低めの声で演じていたが、それが男気のある座長役にぴったりあっていた。テレビも上手いけれど、際立っていい声をもった人なので、舞台の方が断然いい。生前、井上ひさしも高畑淳子を梅子役にと切望していたという。

佐藤和子のキムラ緑子は99年にも同じ役を演じており、セリフや所作の巧みさは見事としか言いようがないのだが、いくら演技が上手くても粋で貫禄がありすぎて、28歳には見えないのが残念なところ。ムリもない話で、彼女は61年生まれだから主演の高畑淳子と同世代。ちょっとこの配役には無理があったかも。誰でもできる役ではないのだが、例えば新妻聖子とか、せめて30代の女優さんを当てて頂きたいものである。

意外性があって面白かったのは女形役の村田雄造。彼のようにごつい感じの人がなよなよと女形を演じ、しかも左翼がかった思想の持ち主で、給料を払ってくれと迫る二面性がおかしかった。

新橋演舞場や歌舞伎座の近くに生まれ育ったせいもあって、子供の頃、新国劇の日本柱だった辰巳柳太郎の『国定忠治』や島田正吾の『瞼の母』、新派で水谷八重子先生(とても呼び捨てには出来ない)演じる『婦系図』や『不如帰』などを生で見た記憶がある。

井上ひさしの戯曲は、晩年、ちょっと反戦色が強すぎてシンドイと思うこともあったが、昔耳にした名台詞が朗々と語られ、手放しの芝居讃歌となっている『雪やこんこん』は、懐かしさで涙腺がゆるみそうな、浮世の憂さを忘れさせてくれる作品だった。

私は加藤健一事務所も好きでよく見るのだが、いいと思う舞台は鵜山仁さん演出のことが多い。おそらく「セリフ」を生かすことに長けた人演出家なのだろう。

ちなみに、『雪やこんこん』はこれまで87年、88年、91年、99年と4回上演されていて、初演と二回目に梅子を演じたのは市原悦子、初演の和子は浅利香津代(元前進座・和子役で紀伊國屋演劇賞を受賞)だった。また、99年に梅子役となったのは宮本信子で、この時の和子がキムラ緑子だったわけである。宮本信子の梅子というのもきっぷがよさそうで、DVDがあったら見てみたい気がする。

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 『奇蹟の画家』 石井一男さんの人生に想うこと
2012年03月01日 (木) | 編集 |
 kiseki

大雪が降り、春めいた気候とともに3月がやってきた。ずっと更新をさぼってきたが、少し前に読み終わった本の感想をアップしてみたい。

 『奇蹟の画家』はテレビ「情熱大陸」でも紹介された孤高の画家・石井一男さんについてのノンフィクションだ。本書は石井さんだけでなく、著者である後藤正治氏の神戸との関わり(神戸夙川学院大学で教えはじめ、現在は学長)、神戸という町の文化的な来歴、石井さんを世に送り出したギャラリー島田を営む島田誠さんの人生や人柄、そして石井さんの絵を購入した人たち等々が多面的に描かれていて、人と人、人と絵の出会いの不思議さについて考えさせられる。

 特に興味深いのは、石井さんの絵が平均して10万前後のためか、購入しているのが絵画に縁のなかった「庶民」といえる人たちであることだ。ゴッホの絵は生涯に1枚しか売れなかったが、石井さんは自分の絵に癒された人たちの声を生きている間に聴くことができている。その意味で、石井さんがゴッホより幸運だったといえるだろうが、それはゴッホが弟テオに宛てた最後の手紙の最後の言葉「-----しかしきみはどうしようというのか----。」を自らに問いかけ、胸に刻んでゴッホが晩年を過ごしたパリ郊外のオーヴェールを旅したギャラリーオーナー島田誠さんとの出会いによって可能になったものだった。

 人は一人で生きているようで、やはり過去に生きてきた人々の想いの上に命を重ねていくのだと思わずにはいられない。

 『奇蹟の画家』を読んでいると、画家はなぜ絵を描くのだろうと思う。絵というのは、芸術の中でも庶民に一番縁遠い存在である。家が狭いという事情もあるが、本物の絵を求めて自宅に飾っている人は多くない。絵画が好きであっても、せいぜい展覧会に足を運び、ゴッホやセザンヌといった世界的に有名な画家の名作をガラス越しに眺めるくらいだ。

 アルバイトで生活を支えながら、創作1本で食べていきたいと願う画家の卵たち、あるいは夫とか身内とか、芸術に理解のある誰かの支援によって画家であることを許されている人たちは大勢いるが、彼らが何年かに一度開く個展に足を運ぶのは、大抵は身内か友人・知人のたぐいで、展示された絵のほとんどは、個展が終わると自宅に直行することになる。たとえ作品が売れたとしても、その絵はどこかの家の居間かなにかにずっと飾られることになるわけだが、画家が、たとえば命をかけて絵を描いていたゴッホは、本当に自分の絵がそういう運命をたどるのを望んでいたのだろうか? 本ならベストセラーにならなくても、公共の図書館でそれなりの人の目に触れることもあるが、絵の場合は美術館に展示されるような有名な画に限られるし、ゴッホは自分の作品がそうなるとは夢にも思っていたかったろう。では、なぜゴッホは、また多くの画家たちは売れるあてのない絵を描き続けるのか?

 石井一男さんの場合は、体調を崩して死のことが頭をかすめるまで、「無名のままであり続けて風化して土に還ればいい」という気持ちで描き続けたという。といっても、真剣に集中して描くようになったのは46歳からで、島田誠さんに見せた作品群は3年ほどの期間に描きためられたものだ。美大を出たわけでも、誰に習ったわけでもない作品は、まさに石井一男という人間をそのままを凝縮したものだった。

 50歳まで定職につかず、結婚もせず、物も持たず、一月数万円で静かに慎ましく暮してきた。その間、日本は高度経済成長を続け、バブルの時期もあったのに、石井さんは一人で修道院にこもるような生活をごく自然に続けてきた。その欲のなさ、環境に左右されない無垢な魂がそのまま描く女性(おそらく)の顔になっている。それを著者はこう述べている。
 
 人は自身と出会うに半生を費やす、その後に仕事がはじまる----という詩人の言葉がある。それに敷衍していえば、空白と沈黙の歳月も、石井一男という画家にとってはきっと必要な、また必然の時間帯であったようにも思えるのである。 

 旅やお芝居やおいしいもの、美しいものが大好きな浪費家の私にとって、石井さんの人生そのものが『奇蹟』に思われる。同時に、長年ライター稼業をしてきたにもかかわらず、人に言えるような「作品」ができないわけが身に染みてわかる気がした。絵が「描く人そのもの」なら、文もまた「書く人そのもの」なのである。結局、私を含め多くの凡人は、自分にすら出会わずに土に還っていくのかもしれない。



  


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