観劇・映画・ドラマ、ボルダリング、シーカヤック、健康法など、好きなこと、実践していること、興味のあることを徒然なるままに書いてみようと思います。
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 小説『ウルフ・ホール』の描くトマス・モア像
2012年01月31日 (火) | 編集 |
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なんとブログを更新を1ヶ月以上もさぼってしまった。新年には近くの千束神社へ初詣にも行ったし、その後、御嶽神社、高麗神社と神社巡りもし、舞台を2本、映画を3本も見ているのに、である。まさに自堕落としか言いようがない。というわけで、2012年の最初のブログは、怠け者の私とは正反対の人物、ヘンリー8世時代に平民でありながら才覚一つで大法官秘書という最も権力ある地位に登りつめた人物、トマス・クロムウェルの生涯を描いた『ウルフ・ホール』からスタートしたいと思う。著者のヒラリー・マンテルはこの作品で2009年に権威あるブッカー賞を受賞している。

この小説、映画『ブーリン家の姉妹』を見た人はその舞台裏を見るようで面白い。さらに私の場合、子供時代にトマス・モアを描いた『わが命つきるとも』という1966年の映画をテレビで見たことがあって、そこで描かれているモアと『ウルフ・ホール』では全く違う人物のような印象を受けるのが、最も興味深いところだ。

トマス・モアはラテン語で書かれた『ユートピア』の作者で、離婚したいがためにカトリックを離れて国教を打ち立てたヘンリー8世に従わず、信仰を貫いて処刑された人物である。モアを主人公にした映画では、その著書ともあいまって聖人そのものに描かれているのだが、『ウルフ・ホール』では英語版やドイツ語版の聖書を隠し持っていたとか、今日からするとささいなことで「異端の徒」を捕えて拷問・火刑に処す残忍な一面をもつ人物として登場する。クロムウェルはもともと毛織商人で、モアに捕えられ、殺された仲間がいる。また、国中にある修道院の修道士の多くが、学識があるわけでも勤勉でもないのに、そこで蓄えられた富がローマのカトリックの総本山へ送られてしまうことに矛盾を感じている。だから、彼はカトリック教会から「信仰の自由」と「経済の自由」を勝ち取ろうと考え、それを実行したのだ。もちろん、発端は王妃と離婚してアン・ブーリンと結婚したい王のわがままだが、それを推進したクロムウェル自身には、また別の深い考えがあったのだ。

著者の主張が正しいなら、21世紀に生きる日本人から見ると、トマス・クロムウェルのやったことは、平清盛や織田信長に近いものがあるような気がする。当時の人々が「動かしがたい」と信じ、国や社会の重石になっていた価値観や制度を「権謀術策」と「財力」と「抜群の行動力」で改革してしまったのだから。だが、改革者がおしなべて非業の最期を遂げるように、クロムウェルも王のために働き、栄達を遂げながら、その王によって最期は斬首されてしまった。

上下巻で900ページという分厚い本だから、かなり読みでがあるのだが、冒頭の少年時代から引き込まれ、一気に読めてしまう。それはひとえに、トマス・クロムウェルというこれまで腹黒い悪者としか解釈されていなかった影の人物を、努力家で賢く教養深い、家族や郎党想いの人間的に魅力ある人物として描き切ったヒラリー・マンテルの筆の力によるものだ。だが、読みやすいかというと、そうともいえない。登場人物がやたら多いうえに、トマス、メアリ、エリザベス、リチャード等々、やたら同じ名前なので、誰が誰やら途中でわからなくなってしまう。イギリス人ならしっかり家系図が頭に入っているかもしれないが、王家の縁戚関係や誰が王位継承権を持っていて、その順番がどうなっているのかなども、やたらわかりにくい。

さらに、東洋人の感覚としては、愛人が男子を2人も産んでいるのだから、それを跡継ぎにしてどこが悪いのか、なぜ、正妻である王妃を追いやってまで、正式に結婚しなければならないのかが、間隔としてわからない。書誌がいるなら王妃の養子にでもしたらいいし、王に側室が何人もいるのは当たり前では?と平安朝の天皇家や徳川将軍家などと比較して思ってしまうのである。

この曖昧さというのは、宗教に関しても言えることだ。腹を裂いて内臓を取り出して焼くとか、異端に対する処罰は本当に残酷で血なまぐさい。十戒には「何をも殺してはならない」とあるのに、キリスト教徒同士で殺し合っていて、教えに背いていると思わないところがどうも理解できないのである。

最後にタイトルとなった『ウルフ・ホール』というのは、ヘンリー8世の3番目の妻、アン・ブーリンが処刑された後で王妃になったジェーン・シーモアの実家であったシーモア家の居城のことである。確かにトマス・クロムウェルはアンの侍女だったジェーン・シーモアに関心を抱きはしたのだが、それがタイトルになるほどの強いものだったのかどうか、私には読み取れなかった。よって、私的にはどうもタイトルがしっくりこなくて、単純に『トマス・クロムウェル』でもよかったような気がするのだが、解説によると『ウルフ・ホール』とは近親相姦と権謀術策がうごめく狼の巣窟のような宮廷そのものを示唆しているらしい。


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