観劇・映画・ドラマ、ボルダリング、シーカヤック、健康法など、好きなこと、実践していること、興味のあることを徒然なるままに書いてみようと思います。
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 高麗神社は“出世明神”
2012年08月27日 (月) | 編集 |
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 昨日は“出世明神”として知られる埼玉県日高市の高麗神社を訪れた。実はこの神社、私たち夫婦のお気に入りの場所でもう10回以上も参拝している。最初に訪れた時、夫は足が痛くてひきずっていたのに、帰る時にはすっかり治っていたという出来事があり、夫にとって最も「気の合う」神社なのだ。以来、2~3ヵ月に1度は東京から1時間半かけて通っている。

 駐車場に着くと、まず目に入るのが、冒頭の写真にある「天下大将軍・地下女将軍」ある男女の標が対になった「将軍標(チャングンピョ)」である。これは魔除けの意味があるのだとか。

 高麗神社は666年、奈良時代に高句麗から渡来した高麗王若光(こまこきしじゃっこう)を祀る社で、平成28年に1300年を迎える古社である。高句麗は紀元前から中国北東部から朝鮮半島北部を領有し約700年間君臨した王朝だが、666年に若光が渡来したとき、唐と新羅の連合軍に攻められようとしており、王族だった若光はおそらく日本に援軍を求めて派遣されたのだと思われる。

 ところが高句麗は667年に滅亡してしまい、若光とその家来は帰る国を失ってしまった。当時、朝鮮半島の進んだ技術や知識を伝えてくれる渡来人は貴重な存在だったため、若光は「王(こぎし)」の姓と官位を朝廷から授かり、しばらく大和朝廷に仕えた後、716年に東国7国に住む朝鮮人1799名と共に武蔵国に移住し、初代の郡長として未開の地の開墾に尽くし、この地で生涯を終えた。高麗神社はその若光の子孫が代々受け継ぎ、現在の宮司高麗文康氏は60代目になるという。

 夫曰く、今日まで高麗神社と高麗郡が守られてきたのは、草深いこの一帯は朝鮮系の方々のコロニーになっていて、日本人は立ち入ることがなかったからではないかと言う。若光が高麗の地を選んだのは、朝鮮の風水で日本のへそにあたる最もよい場所だからだそうだが、京都や奈良の近くにいたら、政争や戦乱に巻き込まれて、きっと高麗郡は離散していただろう。

 若光の子孫は500有余年、高句麗人の後裔である一族とその重臣とのみ縁組してきた。鎌倉時代に深い子細があって源頼朝の縁者である僧全成暁の娘を室に迎え、御家人になったそうだが、「高句麗の血」を守り抜く並々ならぬ執念があったことは間違いない。

 出世明神と言われるようになったのは比較的最近のことで、神社の看板によれば、「水野錬太郎氏、若槻禮次郎氏・浜口雄幸氏、斉藤実氏・鳩山一郎氏等の著名な政治家が参拝し、その後相次いで総理大臣に就任したことから、出世開運の神として信仰されるようになった。近年では、政界・官界・財界を初め、各界人士の参拝が相次ぎ、特に法曹界では石田和外氏が最高裁判所長官、吉永祐介・北島啓介両氏が検事総長に任命された」ということだ。

 鳥居をくぐると、その左奥にある手水舎でいつも身を清めるのだが、ここの龍の水口は極真空手の創始者・大山倍達氏の奉納によるものだと木の札に書いてる。

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 参道を歩いて辿り着く本殿は質実剛健といった趣だ。右側に「高麗王」という日高市にある長澤酒造のお酒が献上されている。

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お参りした後、今までなぜか買ったことのない「出世開運」のお守りを求め、将軍漂の絵馬に願い事を書きいれて下げてきた。

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 高麗神社は皇族との縁も深く、現皇太子までたくさんの方が訪問されているが、李王妃方子女王のお手植えの木が大木となっているのを見ると、感慨深い。

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 政略結婚で朝鮮王朝高宗国王の第7王子李垠と結婚された方子女王だが、その長男「晉(チン=しん)」が8ヵ月で亡くなったのは、血を貴ぶ朝鮮王朝に日本人の血が入るのを嫌って毒殺されたという説がある。晩年は韓国人として排日感情の強い韓国で障害児の福祉に尽力し、韓国で死去された方子女王。今の竹島・独島問題をご覧になったら、何と言われるだろうか。

 高麗神社には最近独島へ水泳リレーで渡って話題になった韓国の俳優ソン イルグク氏も参拝したようだ。彼をスターダムに押し上げたのはドラマ『朱蒙』だが、朱蒙は神話伝承で高句麗初代王とされる人物なのだから、高麗神社とは縁が深い。まあ、政治家の母や祖父を持ち、外曾祖父は独立運動家の金佐鎮(キム・ジュァジン)将軍、妻は判事というバックグラウンドを考えれば、日本でお金は稼げなくても、「抗日」の闘士になった方がメリットが大きいのだから、仕方ないかという気もしないではない。

 ちなみに、私が夢中になった『善徳女王』は新羅の話で、三韓統一の夢を抱き、唐と結んで高麗を滅ぼしたのが善徳女王の甥の金春秋(キム チュンチュ・武烈王)と重臣の金庾信(キム ユシン)である。さらに、ドラマ『幻の王女チャミョンゴ』は高句麗の王子と高句麗・大武神王の王子ホドンと、高句麗に滅ぼされた楽浪国の王女の説話をモチーフにした物語であった。

 歴史ドラマを見ていると、侵略する方とされる方、各々に事情があって、どちらの側に立つかで見方や正義そのものが変わってくるのがよくわかる。日本も若光のドラマでも作って、渡来人を大歓迎して受け入れた時代の日本を再現し、関わりの深さをアピールしてはどうだろうか。
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 養老渓谷と古民家のそば
2011年12月14日 (水) | 編集 |
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12月上旬まで紅葉が見られるというので、千葉県大多喜町、地図でいえば房総半島のど真ん中にある養老渓谷へ行ってきた。紅葉、紅葉と言い続け、ようやく滑り込みセーフで念願成就というわけである。

大多喜町までは川崎からアクアラインを通って木更津を通過すると、約1時間半で到着する。この日、夫と私は不覚にも起きたのが朝9時近く。出発が遅かったせいか、養老の滝が見られるという「粟又遊歩道」に到着したのは2時半位だった。というのも、途中でお昼となり、古民家にあるおそばやさんに立ち寄っていたら、入るのに1時間も待たされたのだ(これについては後述する)。

ちなみに、看板に「避難口4」とあるのは、大雨で水嵩が増したとき、上に上って逃げるための道がいくつもあるということ。夫いわく、10分位であっという間に歩道がなくなるらしい。

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「粟又遊歩道」というのは、養老渓谷沿いに作られた遊歩道で、大人が二人並んでゆうに歩けるほど立派なものだ。渓谷は近所の等々力渓谷とは比較にならぬほど深く、外は青空が広がっていても、お日様の光は下まで届かない。

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よくこんなところに道が作れたものだ、どうやって石やセメントを運んだのだろうと不思議に思うが、それがあるお蔭で子供でも怖い思いをせずに渓谷美を楽しめるのだから、有難いことである。

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現地に行くまで知らなかったが、養老渓谷にある「養老の滝」というのは便宜的にそう呼ばれているだけで、実は「粟又の滝」というのが正式名称らしい。この滝は千葉県最大の滝だそうで、遊歩道の出発点でもあるから、誰もがそこで写真を撮っていた。が、最近あまり雨が降っていないせいか、迫力満点の滝という感じはなくて、どこか優しげである。

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渓谷を流れる養老川の水は澄んで美しく、浅瀬に色づいた紅葉が散るさまは美しかった。新緑の季節なら、また違った風情が楽しめるに違いない。ちなみに鮎も釣れるそうだ。

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2キロの遊歩道を歩く間に何本もの滝に遭遇するのだが、その中で一番美しかったのが「昇竜の滝」。そういえば、来年の干支は「辰」、龍である。

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渓谷の下は薄暗かったが、2キロ歩いて上に登って見ると、まだ明るくて、山肌がところどころ紅葉していた。

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それでも、産直センターで買い物して車に乗り込む頃にはとっぷりと日が暮れて、こんな景色に・・・。

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千葉は東京のお隣なのに、養老渓谷は今回がはじめて。に一度も行ったことがない。ウェブで検索して一生懸命情報を読んでいたら、なんと、岐阜県の養老の滝の話で、アクセスを見てようやく気付いたという有様だ。

日光や箱根には何度も行っているのに、どうして養老渓谷におとずれたことがなかったのだろうと自分でも不思議に思っていたが、現地へ行ってなんとなくわかったような気がした。大多喜町はかなり山の上で、日本の昔の田舎ってこうだったろうなあ、というような日本の原風景が残っているところだ。いい意味で、国際的な観光地ではないのである。遊歩道の出発点の脇にある「養老茶屋」から眺めた谷の景色を眺めていると、心が和む。

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養老八景というだけあって、本当は見どころがたくさんあるのだが、とても1日では見切れない。家で愛猫が待つ身としては、温泉に泊まるわけにはいかず、春になったらまた来ようと思う。

余談だが、山深いといいつつ、ここにおしゃれなお蕎麦屋さんが1軒ある。120年前の古民家を改装してお昼だけ営業している「手打蕎麦 ゆい」というところ。奥さんに茶道の心得でもあるのか、鉄器に入った柿の枝や生けられた花々、すべて神経が行き届いてセンスがよかった。

お味の方はというと、そばそのものより、そば膳についていたてんぷらが非常に美味だった。特にまいたけは絶品。但し、人気のある店のようで、平日なのに店の前のベンチで待つこと1時間。小春日で寒くなかったから待てたけれど、そばがなくなり次第、閉店するということだから、時間の節約とむだ足を避けるためにも、予約することをおススメする。

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 鹿島神宮と鯰料理
2011年12月01日 (木) | 編集 |
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友人夫妻と一緒に常陸国一の宮、鹿島神宮にお参りしてきた。実は行ったのは11月25日なのだが、途中まで書きかけて仕事でバタバタし、なんと月をまたいで12月になってしまった! 神様、友よ、ゴメンナサイ。

鹿島神宮は最近、NHK BSで放映されていたドラマ「塚原卜伝」のロケ地として、また、パワースポットとして人気らしいが、以前に一度行った友人も、「ものすごく神聖パワーを感じる場所」だというので、興味津々。友人夫妻は今回2度目なので、ちゃんと参拝したいということで、赤いジャケットを着たボランティア「かしまふるさとガイド」の方に解説をお願いすることにした。

まず、驚いたのがチラシにある入口の「大鳥居」がなくなっていたこと。なんと、東日本大震災で、御影石製の鳥居が崩落してしまったそうだ。鳥居が立っていた土台は下記写真のようになっている。灯篭もたくさん倒れたらしい。地元では、鳥居が身代わりになって鹿島に被害がなかったと言われているとかで、現在、森の中から切り出した杉の木で新しい鳥居を作るべく、寄進を募っている。なんと、その額、約8千万円。杉の木を乾燥させて、鳥居を作るところまで運搬して、また鹿島に運び込んでと、材料は森の木を切ったので無料でも、鳥居を作るにはかなりお金がかかるのだそうだ。鹿島神宮のホームページに振り込み先が掲載されているので、懐に余裕のある方は、寄進を一考されてはいかがだろう。

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鹿島神宮の祭神は武甕槌神(たけみかづちのおおかみ)で、イザナギ、イザナミの両神から生まれたというから、神話の世界のような印象を受けるけれど、ガイドさんの話を自分流に解釈すると、どうも先住民を武力とその後の交渉によって諏訪の方へ追い出して(それで「諏訪大社」が出来た)、国を譲ってもらったので、天下に平和をもたらす武運守護の神様ということになっているらしい。その時の「フツの御霊の剣」が残っているというから驚きだ。ちなみに、出雲大社も大和族が先住民だった出雲族を武力で鎮圧し、その魂を鎮めるために作ったという話を聞いたことがある。

ウィキペディアによると、鹿島神宮は香取神宮と共に蝦夷征伐の際の大和朝廷の前線基地でもあったところで、宝物殿には寛文四年(1664年)に奥州の藤原満清が奉納し悪路王(アテルイ)の首と首桶が祀られているらしい。蝦夷にしてみれば、東征なんて言われて迷惑もいいところで、それは大和朝廷もわかっているから、「恨んで化けて来ないでね」ということで、魂を慰撫しているのだろう。国を平定するというのは、血生臭い戦が避けて通れないものらしい。

次に進もう。先に見える赤の立派な楼門は、寛永11年(1634)年に水戸徳川家の祖で水戸黄門(光圀)の父にあたる徳川頼房公が寄進したものだ。向かって右手に拝殿がある。これはNHK大河ドラマ「江」にも出てくる徳川秀忠の寄進。同じくきらびやかで、日光東照宮に色使いが似ている。奥の本殿までは入れないが、後ろに神木「杉」が立っている。

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次に向かったのは、徳川家康が寄進したという奥宮。家康の簡素な性格を反映してか、驚くほど地味で小さな宮である。そこに至る参道は両側が自然の森に囲まれていて、なんともいえない清浄な空気が漂っている。明治神宮の木は植樹されたものだが、鹿島の森は2千年以上前からある自然のものだという。敷地の広さは74万㎡で東京ディズニーランドの総面積80万㎡に匹敵する広さだが、かつては銚子からどこそこまでと、今より遙かに広大な敷地を所有していたそうな。往時高野山や延暦寺のように、領国といった感じだったのかもしれない。

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奥宮の前で道が二手に分かれているのだが、次に行ったのは五差路にある「大鯰の碑」。常陸国は今の茨城県で、昔から地震が多かったらしい。写真にある碑の中央の人物が武甕槌神(たけみかづちのおおかみ)で、地震を興す鯰を押さえつけている。武の神様は地震の守り神でもあるわけだ。

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「大鯰の碑」の先に霊石「要石」がある。実際に見てみると、拍子抜けするくらい目立たない石である。ここは鹿島神宮の大神が降臨した御座ともいわれ、地震を起こす大鯰の頭をおさえている鎮石ともいわれる。徳川光圀の『水戸黄門仁徳録』には、家来に掘らせてみたが、あまりに巨大で「七日七夜掘っても堀りきれず」との記述があるそうで、露出しているのは頭頂部のほんの一部なのだろう。石自体にパワーは感じなかったが、とにかく三人で手を合わせた。

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次に来た道を奥宮まで戻り、T字路の真ん中の道をまっすぐに進んだ先にあるのが、「御手洗池」。友人が一番パワーを感じたと言っていた場所だ。ここは古くからの禊の場で、今も女性がここで身を浄めるのだそうだ。1日400K以上の清水が涌きだし、持ち帰ることもできる。大きな鯉がじっとしているのが印象的だが、本当に綺麗な水である。

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湧水口ではポリタンクに水を汲んでいる男性二人の姿が。この水でお茶をたてるのだという。一応、煮沸して使用して欲しいと書いてあるので、飲まずに手を洗ってみると、意外に冷たくない。ガイドさんによると、近年は周囲の開発が進んで水が少なくなっているとか。森も狭まり、水も枯れでは、神様が怒って地震を起こすのも無理はない。身を慎んで、鹿島の自然を守りたいものである。

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ふと気づくと、鹿島に到着してほぼ1時間が経っていた。実はせっかくだから名物の「鯰(なまず)」を食べようと、老舗の料理屋を12時半に予約してあったのに、もうその時刻が迫っている。というわけで、急ぎ足で戻ることに。

帰途に見たのが、「鹿園」と「さざれ石」。かつては森に多くの鹿が棲息していて、奈良の春日大社の鹿は鹿島神宮から贈られてものだというが、春日大社のように放し飼いにはされておらず、動物園のように囲いの中で暮らしている。ガイドさんによると、あるとき、鹿が大量に死んでしまい、胃袋を開けてみると、中にビニール袋が入っていたそうだ。心無い人たちがお菓子などをあげ、その袋まで食べてしまったのが原因だったらしい。今は餌になるニンジンを購入した人のみが、金網ごしに鹿に近づけるシステムになっている。神様のお使いが自由に森の中を歩けないとは、これまた哀れな話である。

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「君が代」に出てくる「さざれ石」は、解説によると、もともとは小石のことで、漢字では「細石」と書く。それが長い年月をへて、小石の欠片の隙間を炭酸カルシウム(CaCO3)や水酸化鉄が埋まることによって、一つの大きな岩の塊、つまり巌(いわお)に変化したものも指すということだ。そういえば、私の叔父の名前も「巌」だが、全国にいる巌さんは、親が君が代からとって命名したものだったのかも。ちなみに、展示されているさざれ石はタイから運んできたものだという。

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スマホの歩数計を見ると、1万2千歩を計上した1時間強の参拝ツアー。樹木から発散される清涼な「気」に満たされての散策は、本当にすがすがしかった。意外なことに、ガイドさんの出身地は関西だそうで、鹿島は住友金属とそのグループ企業に属する転勤族が全国から集まってくる町なのだという。鹿島神宮に興味を持つのはそうした人たちで、「かしまふるさとガイド」の80%は他県出身者だというから驚きだ。それにしても、まったくのボランティアで詳しく丁寧に解説して下さったガイドさんのには本当に頭が下がる思いがした。ここで、改めて御礼を申し上げます。

参拝の最後を締めくくったのは、明治30年創業の老舗「鈴章(すずしょう)」の鯰(なまず)料理。恥ずかしいことに、私はこの料理屋さんのホームページを見るまで、鯰というのはどじょうのような魚で、柳川鍋みたいなものが出てくるのだと思い込んでいた。夫に「何言ってるんだ。霞ヶ浦にいる淡水魚だろ」と指摘され、「な~んだ、白身の魚だったんだ」と気づいた次第。しかし、ウナギ屋さんと違って鯰料理を出す店は都内で見たことがないから、本当に珍味なのではなかろうか。

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オーダーしたのは「なまずミニコース」。薄造りを盛り込んだ「Aコース」(写真)、鯰(なまず)のカルパッチョを盛り込んだ「Bコース」があり、両方頼んで食べてみようということに。どちらのコースも共通して、鯰を含んだてんぷらと鯰の煮物が付いてくる。まさに、鯰づくしなのだ。お値段は1890円だが、Webクーポンを持参すると1701円だから、内容のわりにリーズナブルである。

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霞ヶ浦で養殖した鯰を井戸水で洗ったという鯰はくさみがなく淡泊で、コリコリしたふぐのような感じだった。食べにくくはないが、味もない。だから、一番おいしかったのは、意外にもカレー粉をつけた天ぷらだった。煮物もなかなか美味。つまり、味がないから、かなりアクセントになる味をつけなければならないのだ。特筆すべきは、ごはんとお味噌汁がおいしかったことで、かなり量があったのに完食してしまった。

一度訪れたいと思っていた鹿島神宮に友人のご主人の運転で参拝が叶ったのはラッキーだった。しかも晴天で道路も町も境内も空いていて、本当にスイスイと物事が進み、あたかも鹿島の神様に呼ばれたかのような1日だった。ここは高麗神社と並ぶ私のお気に入りスポットになりそうだ。今度は夫と共に再訪することにしよう。


 三浦の風車と三浦大根
2011年11月24日 (木) | 編集 |
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紅葉の季節である。だが、人混みが嫌いで海好きの夫は「風車を見に行こう!」と言う。「風車ってどこにあるの?」「三浦だよ。風車を見てから、マグロを食べるんだ」。本日(11月23日)は勤労感謝の日。この記念日は、作物の収穫に感謝する「新嘗祭」に起源を発しているから、神社に行くというならまだわかるが、なぜ風車なのか。だが、おいしいものに目がない私は「マグロ」に魅かれて朝9時前に自宅を出発、三浦半島にあるという風力発電の現場に向かった。

1時間半後、到着したのは三浦市宮川公園。確かに2基の風車が回っていた。想像以上に巨大なものではあるが、欧州の自然エネルギーの番組をBSで見ていたせいか、たった2基という規模に肩すかしをくらった気分だ。これで原子力発電の代替えエネルギーになるのかと心もとない気がするが、看板の解説によれば、300世帯の電力を賄っているというのだから大したものだ。

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誘われた時は気が進まなかったが、宮川公園の眺望は最高で、眼下にはヨットが停泊する港や小高い丘が見える。葉山のようにおしゃれではないが、周囲は広大な大根畑で緑が目にまぶしく、雲ひとつない晴天の空を見ていると心が晴れ晴れするようだ。

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大根畑に近寄ってみると、収穫間際なのか、多くの大根は地面から浮きあがっている。そういえば、三浦半島って大根で有名だったなと納得するのだが、このあと立ち寄った産直販売センター「すかなごっそ」で、私の「三浦大根」についての理解がいかに浅かったかが判明することになる。

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すかなごっそ」というのは、JAよこすか葉山が経営している農産物直売所で、「よこすかの大地に育まれた、新鮮野ごちそうを味わって欲しい」という想いから付けられたネーミングだそうだが、ちょっと強引な感じがしないでもない(笑)。が、産直所自体は規模が大きく明るい感じで、地元の人や観光客でかなり賑わっていた。数ある産直野菜の中でもやはり目を引く少し大きい文字のは大少し大きい文字根で、おおぶりのものでも1本100円か120円と安い。ところが売り場をぐるりと回って見つけたのが、これまで見たこともないような巨大な大根。なんと500円もする。そう、それこそが有名な「三浦大根」なのであった。

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三浦市農協によれば、三浦では寛永年間から大根が栽培されていたが、昭和54(1979)年に大型台風20号が三浦地域を襲って大きな被害を受け、それを契機に2~3年でスーパーでよく見かける「青首大根」にとって代わられてしまい、今では全収穫量の1%に満たないそうだ。三浦大根がすたれた理由は、太くて重い大根は高齢化が進む農家にとって収穫が大変なうえ、小ぶりな方が核家族化している消費者ニーズに合っていたからだという。少子高齢化の波は伝統ある三浦大根にまで及んでいたのだ。とはいえ、水分が多くて煮物に適した三浦大根は、料理屋などで購入され、年末年始に限って出回っているという。

せっかくなら三浦大根にしようということで、買ってきたのがこの写真。長さ68センチ、重さ3.6キロ、ウエスト?の一番太い部分が40センチと、我が家の猫に匹敵するサイズだ。確かに立派すぎて収穫は大変だろう。早速、夕食のすき焼きの中に茹でたものを入れ、大根おろしにもして食べてみた。これがなんと、「絶品」なのだ。いつも食べている青首大根とは全く別のカテゴリーに属する野菜のようだった。似ても水分がたっぷり中に詰まって口の中で広がるし、大根おろしは本当にフレッシュな味。カヤックで何度も三浦半島に行っているのに、今日まで三浦大根の存在を知らなかったなんて、長生き?はするものである。

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 大阪のホテルと麻布のバーで旅気分
2011年10月20日 (木) | 編集 |
有難いことに、このところ忙しくて更新ができない。
それに更新しているのが関係者のバレたら、「そんな暇があったら、仕事してくれ!」と怒りを買うこと請け合いだ。

だが、ようやく開設したブログが繁忙期でダメになるのは余りに哀しい。
そこで、取材のため1泊したホテルと翌日にやはり仕事で使用した麻布のバーを写真メインでご紹介しよう。

大阪にはわりとよく行くのだが、いつも淀屋橋あたりの仕事が多く、そのときは温泉のあるアパホテルに泊まっている。ところが、今回の仕事は京橋・大阪城公園近くだったので、初めてホテルモントレ ラ・スール大阪に泊まった。
温泉好きの私は、ここでも天然温泉に魅かれてしまったのだ。

余談だが、大阪城公園は名前の通り、再現した大阪城の天守閣や大手門、千貫櫓、火硝蔵など13棟の重要文化財がある広大な公園らしい。大阪城公園駅はその最寄り駅なのだが、残念ながら見学している時間的余裕はない。ただ、いまドラマ「江」で宮沢りえが淀君を演じているので、「あそこにいたんだなあ」と感慨深いものがあった。

モントレは銀座にもあるのだが、大阪は規模が桁違いに大きく、部屋へたどりつくまでかなり歩くので驚いた。
外観も館内もコンセプトは銀座と同じで、パリにある小粋なホテルといった雰囲気なのだが、大阪ビジネスパークの中にあるので、ビジネスで利用する人が多いようだ。

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お客さまが少ない時期なのか、ツインにグレードアップしてくれたので、部屋はもったいないほど広々。
18階の窓から見える眺望もよく、5時半に起きたら日の出が見えた。

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バスルームの壁も赤で女性好み。自分の家もこんな風にしたいなと思ったり・・・。

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建物が大きいのでエレベーターは6台くらいあるのだが、アールヌーボー調というのだろうか、
どれも中のデザインが違っていて楽しかった。

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翌朝の朝食のビュッフェも大阪名物のたこやきやモントレ特性カレーなどバラエティ豊富で大満足。
特に私好みのやや酸味の強いコーヒーが気に入った。

次はプライベートで温泉・エステ三昧に大阪城公園に食い倒れか・・・と妄想がふくらんでいるところへ、
愛猫マリンが激怒していると夫からのメールが(汗。
「ばかいってんじゃニャイワヨ、うぎゃー」という鳴き声が耳元で聴こえたような・・・。

午前中で大阪での取材を引き上げて、タクシーで新大阪へ向かい、新幹線で一路東京へ。
いつも時間の余裕がないので、結局、何度訪れても大阪の観光はできないままだ。
とはいえ、素敵なホテルで温泉にまで入れて、かなりリフレッシュしたことは確か。

夕方からの取材は雰囲気を出すために麻布十番のバーで行われた。
アルコールがダメな私はバーや居酒屋に足を踏み入れることは滅多にないので、貴重な体験だ。

しかも、取材&撮影にお借りしたお店は『キル・ビルVol.1』『不夜城』『スワロウテイル』『THE 有頂天ホテル』『悪人』等々を
手掛けた世界的に有名な映画美術監督、種田洋平氏が内装を手がけた店だから、一見の価値がある。
「食べログ」にも書かれていたが、壁がレンガ調で都会的かつ温かみがあり、とても居心地のいい空間だった。

一緒に仕事をやっているディレクターは、事務所が麻布十番にあり、なんと毎日通っているそうだ。
カクテルはもちろん、ビールやワインもあるし、食事の方もサラダやピザ、パスタなどメニューが豊富。
カレーがおいしいので、カレーだけのために来るお客様もいるそうだ。

インタビュー終了後、柿とオレンジの「ノンアルコール・カクテル」を作ってもらい、
ほんの束の間、仕事がえりにふらりとバーに立ち寄るキャリアウーマン気分を味わった私だった。

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