観劇・映画・ドラマ、ボルダリング、シーカヤック、健康法など、好きなこと、実践していること、興味のあることを徒然なるままに書いてみようと思います。
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 茶亭 羽當(ちゃてい はとう)
2013年10月12日 (土) | 編集 |
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 今日(正確には昨日ですが)、渋谷でセミナー取材があり、4時間くらい集中して講演を聞いていたので、帰りに渋谷のカフェ「茶亭 羽當(ちゃてい はとう)」に寄って、ほっと一息ついてきました。渋谷駅から徒歩1、2分、明治通りを1本入ったところにある店で、先月で開業25年になるそうです。

 親しくしている編集者に4、5年前に教えてもらったのですが、渋谷には打ち合わせできる喫茶店があまりないので、仕事に使ったり、たまに一人でふらりと立ち寄ったりしています。
 雰囲気は神保町の喫茶店のようです。今日もカウンターの左隣りの若い女性は、ワインカラーの革カバーをかけたKindleで本を読んでいましたし、右隣りの30代前半くらいに見える男性は、常連さんなのかパリスタと談笑しながら、使い込んだシステム手帳に何か書き込んだりしていて、一人でもリラックスできる空間です。お店の人たちもみなさん気さくで感じがよくて、自然と話しかけてしまうんですよね。

 注文したのは「炭火煎羽當オリジナルブレンド。それと今日はシナモンケーキもいただきました。ブレンド800円、ケーキ500円と少々値ははりますが、パリスタが1杯1杯丁寧に淹れてくれる、やや酸味の強い珈琲は絶品です。量もたっぷりあるのが嬉しいところ。飾ってあるカップを見ていると心が癒されます。

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 東急沿線に住んでいるので、最寄りのターミナル駅は渋谷ということになのですが、とにかく人が多くて、待ち合わせできる喫茶店がありません。先日、「ここなら空いているだろう」と思って、109MEN's店2階にある星乃珈琲を指定したところ、Cメールが来て「混んでて入れない」と言われてびっくり。結局、南口の麻布茶房に移動しました。

 それに今はほとんどがチェーン店で、昔ながらの喫茶店は姿を消してしまいました。そんな中で茶亭 羽當は世界に1軒だけの大人のためのカフェ。あまり有名になって混んで欲しくないけれど、でもちょっと自慢したいと思わせる大人の隠れ家なのです。

 ちなみに、今日のセミナーーのテーマはビッグデータの分析をビジネスにどう活かすか。老舗珈琲店の雰囲気とはミスマッチですが、そういえば、渋谷を「ビットバレー」と呼んで、日本のシリコンバレーにしようなんて話があったことを思い出しました。あのITブームはなんだったんでしょう。
 
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 夫からの誕生日プレゼント
2013年07月24日 (水) | 編集 |
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 今年の誕生日、夫からのプレゼントはこのお花でした。赤いバラじゃなく、私が喜ぶ金運が上がりそうなイエローにしたそうです(笑)。さっそく、出窓に飾りました。 

 これだけ見ると、「なんてロマンチック!」とか、「素敵なご主人」とか誤解される方もあるかもしれませんが、うちのダーリンはイベントが大嫌いなんです。前もってレストランを予約して外食するとか、サプライズで自分がディナーを作って一緒に食べるとか、そんなことは付き合いはじめてこのかた、皆無でございます。

 ちなみに、以前、親友のご主人がいつも彼女の誕生日にイタリアンとケーキを作ってくれる、それも付き合っているときからというエピソードを紹介したのですが、「そういうのがいいなら、他で探してくれ」と全く動じませんでした。相当な頑固ものです。

 我が家は夫の方がかなり年下で、出会った頃はまだ20代でしたが、テレビや小説に出てくる料理上手なイマドキの青年ってことは、まったくなかったですねぇ。付き合いはじめた頃に、いい店を見つけたと連れていかれたのが新橋のいわし専門店でしたから。

 とはいえ、このトシになると、お花をくれる男性なんて、世界にたった一人ですものね。今年も夫を大切にしなければと思いつつ、また1日トシをとりました(笑)。







 高野悦子さんの想い出
2013年02月14日 (木) | 編集 |
岩波ホール総支配人の高野悦子さんがお亡くなりになりました。83歳でした。
20年近く前になりますが、私はある政府関係の広報紙の取材で高野さんにお目にかかったことがあります。偶然、同じ大学の大先輩ということもあり、お会いする前から親近感を抱いていましたが、とても知的かつ気さくな方でした。

海外の芸術性の高い、商業ベースに乗りづらい映画を紹介するエキプ・ド・シネマを1974年にスタートされた高野さんですが、その中には大ヒットした作品がたくさんありました。私も何度も劇場に足を運んだ一人です。「八月の鯨」「眠る男」「宗家の三姉妹」「父と暮らせば」「カティンの森」等々、一緒に見た友人たちの顔と共に、そのとき自分がおかれていた状況が蘇ってきます。

お話の中で印象的だったエピソードが二つあります。一つは、年間400本近い映画を見ていて、1日に平均して3~4本見ているという話です。それを聞いて、「好きなことでも、仕事にすると大変だ」と思ったものです。面白い映画ばかりではないでしょうし、様々な基準にのっとって、上映するに足る作品かどうか評価するのですから、感動することはあっても、楽しむことはできないような気がします。

私も映画やお芝居が大好きですから、週に2本くらい、タダで見られる評論家とか新聞社の論説委員になりたいと思ったりしますが、仕事で毎日見ろと言われたら、ちょっとシンドイですね。1日24時間、毎日やり続けても嫌いにならないのが天職だと言いますが、高野さんにとってエキプドシネマはまさに天職だったのでしょう。

もう一つ、実は映画の話以上に胸に響いたのが、お母様を介護して看取った50代の話でした。「50代は本当に辛かった」という言葉を今も忘れることができません。それまで独身の高野さんを心身ともに支え、応援してきたしっかりしたお母様が認知症にかかり、「支えられる人から支える人へ」と転換したのが50代というわけです。その話を聞いたとき、まだ私は30代でシングルだったので、「そうか、50代はキツいんだな」と覚悟を定めた覚えがあります。

私の両親は70そこそこで亡くなったので、私がキツかったのは30代後半から40代にかけてでしたが、介護に奔走した数年間に何度も高野さんの言葉を思い出しました。晩年は体調を崩され、滅多に人前に姿を現さなかったとありますが、姪ごさんで現岩波ホール支配人の岩波律子さんがお世話されていたのでしょうか。この世に生まれた使命を立派に果たされた高野悦子さんの魂が安らかであることを祈らずにはいられません。

余談ですが、今日は元宝塚月組スター古城都さんのご主人、本郷功次郎さんも逝去されましたね。
さすがに古城さんの現役時代は存じあげませんが、まだ小学校に上がる前の子供の頃、なぜか、花登筐原作・脚本の『船場』というテレビドラマが大好きでした。それに主演していたのが、本郷功次郎さんです。

花登さんの描いた大阪の商人を主人公にした商魂物はいま流行りの韓国時代ドラマくらい面白くて、「この人は天才だ!」と感嘆しながら、『細うで繁盛記』『どてらい男』『ぼてじゃこ物語』などを家族と一緒に夢中になって見たものです。本郷さんは『細うで繁盛記』にも出演されていました。

今の私が泥臭い個人商店主の取材とかを好んでしているのは、この子供時代の影響が大きいかもしれません。エキプドシネマから大分ずれてしまいましたが、日本も再び、浪速のど根性精神で立ち上がらねばいけませんね。

 常磐新平さんの想い出
2013年01月22日 (火) | 編集 |
常磐新平

直木賞作家の常磐新平さんが亡くなった。

もう20年近く前になるが、某官庁の広報紙の編集ライターをやっていた頃、常磐さんにインタビューさせて頂いたことがある。常磐さんは私の両親と同じ昭和6年生まれだが、早稲田大学大学院の英米文学科を卒業後、早川書房の「ミステリマガジン」の編集長を努めたインテリだ。小説を書くようになったのは翻訳者として名を知られてからだ。アーウィン・ショーの「夏服を着た女たち」、ゲイ・タリーズの「汝の父を敬え」、カール・バーンスタイン,ボブ・ウッドワードの「大統領の陰謀 ニクソンを追いつめた300日」などは、夥しい翻訳書の中でも代表作と言えるだろう。

インタビューで印象に残った言葉が2つある。一つは「どんなに長く翻訳に携わっていても、3分の1位までは苦痛なものなんです。でも、それをすぎると朝8時から夜11時まで机に向かっても苦にならなくなる」というもの。常磐さんのように高名な翻訳者でも最初はやる気が出ないのかと、妙に親近感を覚えたものだ。

もう一つは、「自分が好きで読むのは時代小説なんです。時代小説にはカタカナがないから」という言葉だった。好きな作家は池波正太郎、藤沢周平、山本周五郎。エッセイを読むと、川口松太郎も好きで、繰り返し読んでいたらしい。確かに、翻訳モノはカタカナの量がやたらと多くなる。私も昔はIT系の記事などをよく書いていて、カタカナの中に平仮名のてにをはをつけただけのような文章になっていたので、常磐さんの気持ちがわかるような気がした。

実は常磐さんにインタビューをお願いしたのは、カード会社のダイナースクラブの雑誌「シグネチャー」に連載していたエッセイで、ご自身の離婚のエピソードが書かれているのを読み、さらに「熱愛者」(だったと思う)というその経緯が詳しく書かれた小説まで読んで、どんな人だろうと興味を惹かれたことも理由の一つだった。

長年連れ添った奥さんと別れ、翻訳教室の教え子だった陽子夫人と再婚したわけだが、出会ったときは二人とも既婚者で、特に常磐さんには前の家庭にも娘がいた。前妻には落ち度はなにもないため、陽子夫人が離婚しても常磐さんはズルズル決断できない。激怒した夫人は2階の窓から常磐さんのパジャマを投げ捨てる、というシーンがあって、その生々しさが鮮烈だった。

親と同世代なのに、ずいぶん情熱的な人なんだなと思ったが、実際にお会いしてみると、今だから率直に申し上げるが、「素朴な田舎のおじさん」といったイメージの地味で小柄な方で、冒頭にある南伸坊さんのイラストのままだった。とても、激しい恋をして妻子を捨てる人には見えなかったけれど、そういう人だからこそ、翻訳家から小説家に転身するために、過去の自分を知る親しい人たちとの決別が必要だったのかもしれない。私生活に負荷をかけることで、作家として立たねばならない状況に自分を追い込んだのだと、今ではそう思える。

そういえば、南伸坊さんにもその広報紙で1年以上もイラストを描いてiただき、新富町の事務所に伺ったことがある。懐かしい思い出だ。

10年前に亡くなった父は戦後のモノのない時代に青春時代を送ったせいか、豊かなアメリカ文化に憧れを抱くアメリカ大好き人間だった。留学など夢また夢の時代に、ペーパーバックを買っては貪るように読んだ常磐さんは、アメリカ文化やアメリカの小説を日本に紹介した功労者だ。直木賞を受賞した1986年から90年代半ばくらいまでは、常磐さんの小説や翻訳本はまだ読まれていたのに、いまアマゾンで検索してみると、レビューが書き込まれた本がほとんどないのは、ちょっと淋しい。

もっとも、常磐さんはエッセイで「作家にもピンからキリまである。オレのものなんか残るもんか。死と共に消えるのが何よりだ」という川口松太郎の言葉を紹介し「いさぎよい覚悟だ」と賞賛していた。だとすれば、これは常盤さん自身の気持ちなのかもしれない。それでも常磐さん、私はあなたの作品を読み返しますよ。たとえ時代があなたを忘れても・・・。







 東京ゲートブリッジから初日の出と富士を見る
2013年01月01日 (火) | 編集 |
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 みなさま、明けましておめでとうございます!

 今年から心機一転、デアル調からデスマス調に改めてブロクを書いてみたいと思います。

年末から私も夫も風邪をひいてしまい、毎年行っていた大晦日の高麗神社参りにも行けず、恒例の千束神社への初詣もパスしてしまいました。その代わりと言ってはなんですが、生まれた初めて初日の出を見ることができました。

 寝たのは遅かったのに、なぜか朝5時に目覚めてしまい、急遽思い立って初日の出を見に行くことに。向かったのは昨年開通した東京ゲートブリッジです。元旦の日の出は6時50分だったので、家を出たのは6時過ぎ。車の温度計は2度でした。6時40分頃橋に到着すると、寒さにもめげず、既にたくさんの人達が徒歩で橋の中央におり、日が出るのを待っているのでビックリ。でも、車は駐車しちゃいけないし・・・と思っていると、幸いなことに初日の出見たさの渋滞に巻き込まれ、ベストスポットで停まってくれたので、冒頭のような写真を撮ることができました。

 今日は雲が多かったので、完全に太陽が姿を現すことはなく、日の出の前後の景色は下記のような感じで推移して、陽が暮れるみたいな光景でした。反対側にはまだ月がぽっかり浮かんでいて、不思議な光景でしたね。

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 驚いたのは、空気が澄んでいて、車から雪を冠した富士山がくっきり見えたことです。感動して思わず撮影したのがこの写真です。

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 やはり富士山には崇高な雰囲気が漂っていますね。今年はなんだかいい年になりそうです(^O^) みなさんも、健康に恵まれ、よいことがたくさんある年でありますように!!


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